良かれと思って隣にいたけれど。睡眠を邪魔していたのは、私だったかもしれない話

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「一人遊び」と「放置」の区別

こんにちは!「Own Time Lab」ライフハック研究家のななせです。

「我が子が大事だから、一秒たりとも放置したくない」そう思って、生後5ヶ月になる赤ちゃんの隣にずっと張り付いてきました。

静かにしていれば「退屈なのかな」「一人にするのは可哀想」と顔を覗き込み、おもちゃが手元から離れれば「あ、ごめんごめん」とすぐ戻す。それが「しっかり面倒を見ている」ということだと思ってたんです。でも、最近その自信がちょっと揺らいでいます。

「叫び」の正体に脱力した話

生後5ヶ月の赤ちゃんの叫び声って、心臓に悪いですよね。「ギャー!」という大きな声に、私は「何かあったのかも!」と家事を放り出してすぐに駆けつけていました。

ところが、そっと様子を伺ってみると……。あんなに激しく叫んでいたのに、本人は至ってご機嫌。おもちゃを手にして引っ張ったり、ブンブン振り回したり。「ギャー!」とセルフ実況を楽しんでいたんです。

「なんだ……遊んでたのか」 私が慌てて介入するのは、赤ちゃんが集中して世界を研究している時間を、ただ邪魔していただけだったのかもしれません。

「ママがいない方が寝る」という衝撃

一番のショックであり、最大の気づきがこれ。「寝るまで隣にいてあげよう」とお昼の添い寝を頑張ってきましたが、私が近くにいると赤ちゃんはいつまでもモゾモゾ。

意を決して、部屋を出てみました。 すると、あんなに手こずっていたのが嘘のように、5分もしないうちに指を吸いながらスッと眠りについていました。

「私が近くにいたいだけだったのかも」そう気づいたとき、家事をやっつける時間ができて嬉しいような、でもどこか少し寂しいような……。

今まで「良かれ」と思ってやっていたことは、実はちょっと過干渉で、子供が本来持っている「自力で眠る力」を遮っていたんだな、と反省しました。

「信じて離れる」という選択

「一人遊びの集中」を邪魔せず、子供が本来持っている「自律した睡眠」を信じて、少し待ってみる。今は、声が聞こえてもすぐに駆けつけるのではなく、まずはモニター越しに様子を伺うようにしています。

「これはまだ遊びに没頭している叫びだな」「これはそろそろ抱っこの出番かな」そうやって一歩引いて観察することで、赤ちゃんの自立を妨げず、私自身も罪悪感なく自分の時間を過ごしています。

「一人遊びに集中させてあげること」も、きっと立派な愛情表現の一つ。 近すぎず、遠すぎず。我が子とのベストな心の距離感を、今日も研究中です。

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